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11/24/2009 庇の支柱は自然木!『生活の知恵!』
昨日、<追記>で紹介した自然木の支柱!
近隣の最も立ち寄りやすい居酒屋と雑貨店。
朝から、飲み客でいっぱい。
午後は、狭いスペースだけに4人がけのテーブルを
5.6個置いたら満席。
立ち飲み客も結構入る。
屋根を支えるかすがいが、
自然木の幹に食い込んでいる。
店主のヴィセンティさんに乾杯!
近所の常連客が
自然木を塗装する気持ちは
よーく分かる!
私もその一人・・・・・・・・・・・!
11/23/2009 隣人の悪戯!『恐怖心で動転した鰐の出現!』
近隣のおっさんたちが騒いでいた。
いつも集まる居酒屋の雰囲気を
変えようと7・8人で相談。
店の前にあるひさしを支える立木を塗装。
カメラを隠してそろそろ近づいて
<何やってるんだい!>
と尋ねたら、
あまり殺風景なので、
立木に化粧してるんだとの答え。
<あんた、カメラ持って来たのなら、
俺が飼っている鰐を撮影してよ!>
7・80cmもある鰐を抱えてきた。
最初は鰐の口をふさいでの撮影。
手を噛ませるシーンで
やっと気がついた。
鰐はおもちゃだった。
悪戯にまんまとひっかかり、
酒の肴にされてしまった。
彼の真剣な表情に
騙されてしまって、
日曜日の午後は終わった。
悪戯好きの連中ではある。
『追記』
この塗装された立木(自然木)の上部には、
5mx6mのひさし(屋根)がある。
年代物で支えるかすがいも幹に食い込んでいる。
ちょっと注意して、
塗装された立木を眺めてください!
11/16/2009 平成21年度海外JICA理事長賞受賞ートメアスー総合農業協同組合『環境問題を主体にしたアマゾンの日系人農法が認められた!』
11月14日、トメアスー文協において、
トメアスー総合農業協同組合が
<平成21年度海外JICA理事長賞を受賞した>
JICA中南米担当理事高島泉氏が、
CAMTA坂口渡理事長に贈呈した。
『JICAが助成する海外援助で、その資金を有効に活用し実績を上げる団体に贈られる賞』
平成21年度は、トメアスー総合農業協同組合が受賞した。
単一栽培の胡椒栽培から脱却して、
環境にやさしい混植栽培を導入した組合の活動が
認められたもの。
日本をはじめ全世界が今、トメアスー植民地を
見つめている。
<アグロフォーレストリー>という言葉は、
いまや、トメアスー植民地を象徴する事になった。
まずは、受賞おめでとう!
11/1/2009 汎アマゾニア日伯協会管理 援協更生ホームにあるアマゾン移民開拓先亡者慰霊碑『ベレン日系社会の狭間にゆれる先亡者慰霊碑』
ベレンを訪問される大方の人が、
まず、表敬訪問し、参詣、献花する場所が
表題の<慰霊碑>である。
この慰霊碑を管理するのは汎アマゾニア日伯協会協会。
存在する場所はアマゾニア日伯援護協会、更生ホーム。
慰霊碑に参拝する訪問客を接待するのは、
更生ホームの職員。
汎アマゾニア日伯協会の応対は皆無。
二つのベレンの日系団体の狭間で、
<慰霊碑>は、
その微妙な管理体制の改善を
それとなく示唆している。
日伯協会、援協の両会員も
その管理体制の矛盾に気付かないでいる。
慰霊碑の清掃は更生ホームの職員や
某宗教団体などによって行われているが、
日伯協会の
管理体制を強化するよう求める声も多い!
10/22/2009 ベレンで初の紅白カラオケ『80周年で特別開催 北泊のど自慢が熱唱』
アマゾン日本人移民80周年祭<アマゾナス州では、
日本人アマゾン移民80周年祭>を、
記念して発足したベレンカラオケ愛好会主催の
第一回ベレン紅白カラオケ歌合戦が
汎アマゾニア日伯協会神内講堂で開催された。
紅白50名の歌手来場者約300名が一体となって
楽しい人夜を過ごした。
<カラオケを通じて、みんな仲良く、健康な体と心を
維持しましょう>と主催者は呼びかけた。
私的には、親子(娘)で、
ナレーション入りの紅白の司会を
任された!
とかく疎遠になりがちな親子関係を
それとなく、
楽しくやれて印象的な歌合戦となりました!
参加者の紅組高齢者(86)は、
<河内おとこ節>
白組の最高齢者(87)は、
<男の浪漫>を
熱唱!
健康の秘訣はカラオケと称賛していた。
80周年記念祭がもたらす、
久々のイヴェントだった!
9/30/2009 アマゾン日本人移民80周年祭裏話!『現地を知らな過ぎる添乗員!』
ある慶祝団に同行した添乗員(旅行社)の話。
初対面から高圧的な言動!
事あるごとに、日本と比較して
<もっとなんとかならないのか?>
と連発。アマゾンと日本を比較するのが
まずナンセンス!
アマゾニア日伯援護協会の更生ホームはベレン市
郊外にあり、宿泊していたヒルトンホテルより、渋滞など考慮すると
車で50分は掛る距離を、20分で行け!との
お達し、状況を説明しても納得しない。
<俺の仕様書には所要時間20分と書いてある。>
と譲らない。
結局、急がせて40分で目的地に着いた。
渋い顔つきが、鬼の形相に変わった。
更生ホームにある慰霊碑への参拝と献花が目的。
訪問客はまず更生ホームの事務所を訪れ、
ホーム長と事務局長に訪問の目的を述べ、
来訪者記帳簿に記録をしたため、
慰霊碑へ参拝、献花する仕来たり。
それを無視しての強引な参拝は、
ホームの関係者の失笑を買っただけ、
ご本人は感じなかったようだ!
添乗員さん曰く、
そんな暇ない<早く、蝋燭とお線香を用意させろ!>
とご機嫌斜め。
線香に火が付くのをイライラした表情で睨みつけていた。
昼食に用意したバベキュー料理。
<サンパウロで試食したのでもういやだ!
アマゾンの魚料理に切り換えろ>
夜食の泥ガニ(トキトキ)は、6名中2名不参加。
アルコール類は来訪者支払が基本。
夜食が終わり勘定になって、
<俺たちの飲み代、来なかった2名分で補ってよ>
と来た。
<ドルしかないので精算しておいて、明日払うから・・・>
と領収書を作らせ、<白紙の領収書を
貰ってよ!>とのたもうた。
一枚貰って、更にもう一枚請求。
店主に嫌味を言われて断られた!
さすがに、ご本人には通訳できなかった。
まだある、
<俺の携帯電話は国際線だから使用料が高くつくから、
ここではあんたの携帯を使わせてよ>
常識では考えられない要求に
さすがにうんざりしたが、ご一行の手前我慢した。
最後の見せ場は、
ベレン国際飛行場での搭乗手続きの場面。
サンパウロ~ベレンまで荷物の超過料金を
取られて、痛い目にあった様子で、
ベレン-マナウス間は
<なんとか超過料金を取られないようにしてください>
と、当地の旅行社に平身低頭で頼み込んでいた。
40年間ベレンで開業している旅行社のベテラン社員に
希望をかなえてもらって、やっと笑みがこぼれたが一瞬だった。
現地を把握してないし、何も事情を知らない初心者のくせに、
知ったかぶりして、最後には未熟さを露呈してしまった。
こういう、添乗員はアマゾンに来て欲しくない!
何故なら、同行されたご一行の名誉も
汚されかねない危険性をはらんでいるからだ!
今回は、敢えてご一行の所属団体名は
伏せましょう!それは添乗員のためではない、
ご一行のためにだ!
ご一行にはご迷惑をかけっぱなしの式典だったからだ!
請求しなかったら、立て替え金も支払わなかっただろう。
結局、最後までお礼も言わずに立ち去った。
なんとまー、礼儀も知らないご仁であったことよ!
いまどきこういう種類の日本人が多いんですかネ-?
9/27/2009 ちょっと一息 - その2『ベレン発祥の地、カステーロ要塞付近』
Forte Castelo<カステーロ要塞>は、1616年1月12日、
ボルトガルのカステーロ・ブランコ率いる艦隊が
アマゾンを征服し、ここに要塞を建設した。
イギリス、フランス、オランダのアマゾン攻撃に
備えるための要塞建設だった。
当時、フランスはベレンの対岸、マカパ市を占領、
アマゾン奥地に的を絞っていた。
施設内には、当時のインディオとの出会いの様子や
ベレン発祥地の歴史を展示する博物館がある。
ベレンの歴史を知ることのできる場所。
要塞から眺めるベレン市の眺めは
素晴らしい!
9/26/2009 ちょっと一息 - その1『エコロジーパーク』
ベレン市の中心から北西へ約20kmの地点。
イコアラシー街道<アウグストモンチネーグロ通り>を行くと
テノネーという地区に日系人のゴルフ場、
アマゾンカントリークラブがある。その先1kmにあるのが
エコロジーパークである。
マグアリ川沿いのマングローブ林、イガポ林、高地林など、
さまざまな自然のエコシステムを有する。
動物は猿、バク、ありくいなどの小型哺乳類、各種アマゾンならではの
鳥類<中には絶滅に瀕したアララ>など、
両生類が生息している。
原生林、マングローブ林内の散歩道。
自然のままを残した施設内では絶滅に瀕した動物の
再生が行われている。
89haもある敷地内を見学するには、1日がかり。
年中無休。8;00~16;00まで開園してる。
最終入場券発売は15;30.
とにかく、楽しい。ベレンの近くでアマゾンを体験できる場所。
お勧めしたい!
8/23/2009 盂蘭盆会法要「盂蘭盆会に参加」
一昨年、先輩の遺言で真言宗西本願寺の
トメアスーでの帰敬式に参加。
法名 釈勝解と袈裟をいただいた。
先祖を敬い、報恩の気持ちを持ってご参詣くださいとの
案内状をいただき、
参詣して、
お経を読んでみた。
年のせいかお経を唱えると心が鎮まる。
行く末は、お世話になる終局の目的地。
落ち着き場所が定まってほっとしている。
8/14/2009 トメアスー組合創立60年史ー日伯両語版ついに完成!「念願であった日伯両語での出版!」
アマゾン日本人移民発祥の地であるトメアスーの
組合創立60年史を手掛けて1年。
入植80周年を記念して、念願の日伯両語での出版にこぎつけた。
この1年間、ベレンー~トメアスー間をよく通った。
まず、日本語での編纂を目指し、資料の収集に努めた。
日本語版を纏め上げ、ポ語への翻訳。
さすがに、プロの知識を借りることになった。
直訳を、監修する作業はベレンの二世弁護士に依頼した。
事情を熟知しない翻訳は、史実とかけ離れるからだ。
試行錯誤の上、ようやく完成した!
記念日の九月十六日日には、
日伯両語版を同時に発刊できる。
任された仕事を一人でこなすことは大変だった。
パソコンと印刷機を1台づつ消耗してしまった。
これも、いい思い出となります。
まずは、一人でやり遂げた己の忍耐力に対して乾杯です!
7/22/2009 幻の優勝旗を追って2週間!数奇な運命たどった優勝旗=
パラー=岸信介元総理が寄贈=北伯で盗難、
聖州で発見=アマゾン80周年で返還 盗難に遭って長らく行方不明になっていた、 岸信介元首相が北伯野球連盟に寄贈した優勝旗が、
数奇な運命を辿ってようやく元の場所に戻っていたことが、
ニッケイ新聞の調べで分かった。この優勝旗が発見されたのは
昨年の暮れ頃、なんと聖州沿岸部サンビセンテ市の
骨董市のフェイラだった。
見るに見かねた戦後移住者の手で買いとられ、
岐阜県人会に委託され、
ブラジル野球連盟を通して、この度、
奇しくもアマゾン移住八十周年を祝っている北伯に返還された。
実は、いつ岸元首相がこの優勝旗を北伯野球連盟に寄贈し、 いつ盗難に遭ったのかすら分かっていない。というのも、
北伯球連では「盗まれた」という話が知られ
ていなかったからだ。 つまり優勝旗は二旗存在する。
聖市から送られたものは、七月十日に届いたばかり。
この優勝旗を預かっていた岐阜県人会の山田彦次会長は、
「サンビセンテの骨董市で売られているのをたまたま見つけた
戦後移民が、『どうしてこんな大事なものが』
と見るに見かねて買いあげ、
うちに善処を依頼してきたんですよ」と説明する。
「ブラジル野球連盟の大塚ジョルジ会長の代理が 二週間前に取りにきたので渡したはいいが、
その後、礼状どころか、なんの音沙汰もなかったんで、
我々もどう発見者に報告したものかと弱っていたところでした」
という。
現パラー野球・ソフトボール連盟会長(旧北伯野球連盟)の
影山アントニーノ会長は、本紙のパラー通信員の質問に答え、
「一世の野球関係の先輩や巷のうわさ話でも、
優勝旗が盗まれた話は聞いてなかったです。
送られてきた優勝旗を現在あるものと比較しても、
最初はその違いを判読して説いてくれる人もなくて
困りましたが、今は戻ってきた優勝旗が本物であると
分かるので、だんだん喜びが膨らんできました」という。
現在、サンタイザベル文化協会に保管されている
二旗を比較すると明らかに異なる。
今まで使用されてきた優勝旗は「北伯青年野球、 元内閣総理大臣贈岸信介」とだ
け記されているが、発見されたものは 「北伯青年野球選手権大会、元日本国内閣総
理大臣贈岸信介」とある。 違いは素人目にも歴然としており、 今までのものは墨での手書きでありコピー、
今回発見されたものは錦糸の刺繍が施されており、 見るからに本物のようだ。
地元関係者によれば「盗まれた時点で、
当時の野球連盟の役員が慌ててコピーを
作成したようだが、残念ながら、 文献もなく当時の関係者もほとんど鬼籍に入られ
ていて、真相はつかめません」という。 今後どのように活用するかという問いに対し、
景山会長は「理事会に諮って最終的には決めますが、
私としては現役に復帰させ、今まで果たせなかった
優勝チームの感激を味わわせたい。
二~三世層の時代になったパラーの野球界に新たな力を与
えてほしいと思っています」と語った。 そして「数奇な運命を経て戻って来るよう ご手配くださった方々には
心から感謝しています。
また、長い年月をどういう風に過ごしたのか
知りたくなりました」と
感謝の言葉をのべた。 すぐに感謝状を発見者と県人会に贈るという。
ブラジル野球連盟の沢里オリビオ副会長によれば、
きちんとした優勝旗は「日本でないと作れない。
安く見積もっても七千ドルから一万ドルはする。
まして、元総理の、となれば、幾らするか分からない」とする。
「事実、球連にも総理大臣寄贈の優勝旗はない。
大変貴重なもの」とその価値の高さを強調した。
「幻の優勝旗を追って二週間!」
1960年代、トメアスーに住んでいたころ、
この北泊野球選手権大会に参加し優勝した経験もある。
その優勝旗が、前述した2旗のどちらだったか記憶にない。
ましてや、その優勝旗が盗難にあったという
話など聞いたことがなかった。
サンタイザベル、サントアントニオ、トメアスー、ベレンと
その地の各野球関係者を訪ねて歩きまわったが、
ついに真相はつかめなかった。
収穫は、サンタイザベル文協に保管されている、
現役と帰ってきた優勝旗を撮影できたことだった。
80周年の今、アマゾンは注目の的、
何が出てくるのかわからない!
真実を求めてトボトボ歩きます。
7/12/2009 アマゾン日本人移民発祥の地トメアスーから・・・・・・・・『トメアスー農協創立60年史発刊』
昨年、8月に手がけた農協60年史、
ついに日の目を見た。
戦後移民の二世による理事会の要請を受け、
10か月かけて、どうにか発刊にこぎつけた。
ベレンからトメアスーへの道のり210KMを
バスで通うこと16回。
出来上がった小冊子を手にしたとき、
達成感がじわじわわいてきた。
過去、80年のトメアスー移民史の中で、
農協の存在は、常にトメアスー村の中心的存在であった。
1931年の野菜組合に始まって、今年は78年。
ブラジルの法律に基づいて、
公認組合となったのが1949年。60周年になる。
アマゾン日本人移民80周年を記念して、
編纂されたのが、今回手がけた小冊子だ。
85ページの中に、
CAMTA(トメアスー農協)の歴史が詰まっている。
「我々の子孫にこの歴史を伝えたい!」
との強い希望と要請を受け
いま、ポ語にも翻訳されている。
8月中には、ポ語版も発刊される予定。
なにはともあれ、何回も取り上げた記念史
肩の荷がとれて、ほっとしている。
7/9/2009 アマゾン日本人移民80周年で・・・・・!『合同記念句集を発刊』
アマゾン日本人移民八十周年を記念して編纂された 『合同記念句集』がこのたび発刊された。 この合同記念句集は、パラー州内の次の 四俳句会によって編集された。 トメアスー俳句会(代表=新井範明)、 サンタイザベル俳句会(代表=竹下澄子)、 カスタニャール俳句会(代表=工藤未敏)、 ベレン風みどり俳句会(代表=大嶽一)
『合同記念句集』の編集委員を代表して、 トメアスー俳句会の新井代表は、 その序文に「明治、大正、昭和、平成と各時代に 生まれた人たちの 八十年にわたって流れた時間は、 日本文化をアマゾンに定着させ、 アララ句会、大河句会、木陰、樹海、花胡椒、 アマゾン拓土句会、 ベレン風みどり句会、サンタイザベル句会、 カスタニャール句会、トメアスー句会が誕生した。 このように現在も脈々と受け継がれてい ることは喜ばしい限りである」としたためた。
さらに「戦前移民は戦後移民を受け入れ、 瞬く間に植民地は拡大、新しい家族が誕生し、 忘れられていた日本文化が蘇り、運動会や演芸会、映画会、 相撲、野球そして短歌、俳句が芽生えた」と綴った。
戦後、最初にトメアスー俳句会を結成し、 指導に当たったのは一九五五年入植した、 故吉丸一氏(長崎県出身、俳号=丘南)であった。 遺稿『枝蛙一句その日の日誌とす』
合同記念句集のほか、サンタイザベル句会の『ひとすじ』、 日本人移民百周年を記念してベレン風みどり句会の 『風みどり』第九号が発刊された。 7/3/2009 リョ-ト、在ベレン総領事に優勝報告!
「ベレン発・既報関連記事」
ベレン=世界の王者リョート= 名井総領事に優勝報告=「パラー日系人の誉」
米国の総合格闘技大会で見事優勝して凱旋を飾った日系 二世、町田リョート選手(31、リング名=Lyoto Machida)が 十七日午前九時、伯国東京農大会副会長の山中正二さんと 父親の町田嘉三さんに付き添われ、在ベレン日本総領館に赴き、 名井良三総領事に世界の王者になったことを報告した。
チャンピオンベルトを手にした同選手を迎えた総領事は、 歓迎の花束を渡しながら 「リョートは我々パラー州の日系人の誉です」と、 固い握手を交わしながら「おめでとう」と 優勝への祝辞を述べた。 また、館員揃っての大歓迎となった。 優勝報告は約一時間ほどで、父親の町田さんが 息子の練習振りや 日頃の生活を振り返りながら、 これまでのチャンピオンへの道のりを館員らに説明した。
「過去六年間のたゆまぬ努力が、 結果として優勝をもたらしたと思います。 成せばなるのだと実感しています」との言葉に 居あわせた館員らはうなずいていた。 リョート選手は鎌田ローザ館員の質問に答え、 「勝った瞬間、自分でもその意味を確認できませんでした」 などと淡々と答えていた。
試合の間、父親・兄弟二人がリングサイドで、 日本語で適切に指示したという。 家族のチームワークがここ一番の大勝負の舞台裏を支えた。 父親は冗談混じりに「リョートは我々の指示に従う ロボットなんですよ」と笑いながら照れた表情を見せ、 町田家全員がいかに空手を愛し、 邁進したかを感じさせた報告となった。 リョート選手は謙虚さをにじませながら、 「好きだからやれます。体を鍛えることも必要、 だが一番大切なことは精神を統一し、 いかに無心になることができるかも 重要です。また、相手の挑発に乗らず、 リングに上がったら、 絶対勝つんだという信念が大切だと学びました」 などと語ったことで、 逆に秘められた勝利への意欲の強さを印象付けた。 ニッケイ新聞の質問に答えた父親は、 「防衛する側になったので、これからも鍛錬を怠りません」 と、力強くその決意を語った。
6/25/2009 ブンジンになって考えされられること!『某邦字紙のベレン通信員になった!』
世の中を見る目線が確かに変わってきた。
物事を客観的にみる必要性が生まれたのだ。
常日頃、じゃじゃ馬的発言を繰り返してきた。
だが、いまだかってない緊張感もある。
「なんでも書きなぐりますよ!」
では、小さな村落ではあまり通用しない。
暮らしている範囲の中でニュースソースをいかに、
見つけるかが問われていると感じている。
アマゾン日本人移民80周年祭、
題材はいっぱい転がっている。
如何に感受性の的を絞るかが私に課されているのだと自覚している。
古希を過ぎて、記者の勉強はまた楽しい!
6/19/2009 世界の王者町田リョートがベレンに凱旋!『米国の総合格闘技大会で優勝!』
北泊パラー州ベレン市在住日系二世、町田リョート選手
(31歳、リング名=Lyoto Machida)が
米国の総合格闘技大会で世界の王者になって
5月29日に凱旋。
翌日の地元紙がみな一面トップに写真を掲載するなど、
一般市民から英雄扱いの大歓迎を受けた。
同選手は5月23日、米ラスベガスで開催された
総合格闘技イベント「UFC98」のライトヘビー級の
タイトルマッチで、ラシャド・エヴァンス選手を
KOで下し、プロ公式戦無敗記録を15に伸ばし、王座の場を奪った。
リョート選手は、元ブラジル移民の<アントニオ猪木>氏に
スカウトされ、新日本プロレスの総合格闘技大会でも
デビューして連戦連勝している。
在ベレン総領事館に優勝報告に赴いた
リョート選手を取材したときの
写真をアップします。
6/11/2009 カカオと胡椒『製品管理の試行錯誤』
農産品を加工して、付加価値を与える試み。
カカオは天日乾燥がいいのか、
乾燥機にかけて仕上げたらいいのか、
試みが続いている。
トメアスーのカカオの種類C-27は、世界の市場に
まれにみる品質との評価が出ている。
実をもいで、中実を取り出し、
約一週間箱の中で醗酵させる。
天日乾燥だが直射日光は避けているようだ。
要するに、このプロセスが品質のいい製品の
決め手のようだ!
よりよい品質を保つために、
日々、試行錯誤が続いている。 6/5/2009 トメアスー農協の出荷場の建物の話!『木造軸組工法?』
先週、サンパウロの邦字紙関係の方と、
歓談する機会があった。
席上、入植80周年を迎えるトメアスー植民地の、
トメアスー総合農業協同組合の、
集荷場兼倉庫の話がでた。
「倉庫の建築素晴らしいですね。なんと言う工法なのだろう?」
「柱がなくて、空間を広く使っている。」などなど、
兄や知人に聞いて見たが、建築を仕切った棟梁の
名前や建築年はわかったが、
工法の名前は誰も知らない。
インターネットで探したら、下記の記事が見つかった。
私の検索のキーワードは、
「柱のない空間、梁で支える建築方法」だった。
以下、その検索結果です。
参考になるかどうか?
ご存知の方は教えてください。
小屋組のチェックポイント そして小屋組は屋根の自重や屋根が受ける風圧や積雪などの外力を、壁や柱に伝える役割をもっています。 トラスと呼ばれるいくつもの三角形を形成する小屋です。 和小屋とは洋風建築以前の古来より用いられていた小屋です。 和小屋は、梁の上に小屋束を直立させ、その上に棟木(むなぎ)や母屋を載せます。 それに垂木を渡して屋根ができます。 <追伸> 6月9日、機会があったので許可を得て、 くだんの倉庫を撮影してきました。
6/3/2009 FIFAワールドカップ招致の明暗!『開催地に選ばれなかったパラー―州ベレン市の嘆き!』
Wikipedia(ウイキペヂア)の記事より転載!
<2014年第20回サッカーワールドカップ>
『2007年4月11日、コロンビアサッカー協会は、
FIFAワールドカップの招致を断念したと発表。
これにより、ブラジルが南米からの唯一の立候補国となり、
2007年10月30日、1950年大会以来、
64振りとなるブラジルでの開催が正式に決定した。
2009年5月31日、バハマの首都ナッソーで開かれた
FIFA執行委員会により、開催候補となった17都市のうち、
ベロオリゾンテ、ブラジリア、クイアバ、クリチーバ、
フォルタレーザ、マナウス、ナタール、
ポルトアレグレ、レシフェ、リオデジャネイロ、サルバドール、
サンパウロの12都市で行うことが正式に発表された。』
開催地は間違いないとの認識から、
ベレンでは招致に向けて、あちこちにホテルが建設されている。
私の住む周辺でも、2か所に競うように、
道路を挟んで建設が進んでいる。
このブログを、アップしている午後6時現在、
ひとつは、残業で建設を進めている。
もうひとつは、力尽きるのか、
時間になると人影がない、
はるかかなたの、アマゾン河の
支流には、静かに太陽が沈んで行く!
この世には、明暗がくっきり浮かび上がることが多すぎる。
何をもって由としよう!
今は踏ん張りどころだろう!
頑張りましょう!
5/31/2009 サンパウロの邦字紙ニッケイ新聞社の・・・・・・!『百年目の肖像』
サンパウロの邦字紙ニッケイ新聞社が
この度、「百周年の肖像」と題する、
ブラジル日本人移民100周年を記念して、
ブラジル各地で開催された、
行事を写真でまとめた。
100周年を終えた、日系社会、
「次の百年戦略のために」
-日系社会とは何か-
ニッケイ新聞社の編集長の連載は見事だ!
第一部 世界史の視点から
移民を掘り下げ、ブラジル移民に繋げる。
これからの日系社会はどうあるべきか?
忌憚ない意見を聞かせてほしい。
私も移り住んで52年、
その意味を自分に問いかけている。
動機は、「農村、2.3男対策(間引き)だった。」
海外雄飛に夢をかけて、アマゾンに移住した。
アマゾンの様に心を広く持って、
余生を暮らしてほしいとは、
日本に残された家族の願いでもある。
「間引きだった」とは、思わないでほしい。
あくまでも、海外雄飛というロマンにかけた、
男たちであってほしいというのが、
残った家族の総意なのである。
残り少ない人生、動機にとらわれずに、
今を楽しく有意義に暮らしましょう!
地球の反対側で、
我々を見守ってくれた、兄弟、姉妹への
ささやかなお礼の言葉である。
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