浩's profileアマゾンの日々ー忘れられ行く者の記録PhotosBlogListsMore Tools Help

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    12/19/2007

    マラジョー島の旅!

     

    『ノッサ・センニョーラ・デ・カルモ牧場を訪ねて・・・』

     

    12月15・16日/(土・日)、一泊二日の小旅行を試みた。

    移住以来、話には聞いたり、文献で読んだりして、

    興味を抱いていたがなかなか訪れる

    機会が無かった。観光ポイント調査の名目で、

    やっとその願いがかなった。

     

    マラジョー島は、アマゾン河口の世界最大の中洲

    にあり九州位の面積(約5万㎢)で、

    ベレンの街からマラジョー湾を挟んだ対岸になります。

     

    大自然の中の牧場に宿泊し、

    牧場の日々の生活を体験しながら、

    大自然を観察するツアーです。

     

    カルモ牧場は、1883年から引き継がれ、

    現在の家長は4代目である。

     

    牧場内では1973年型(Rural Willys)自動車の

    ポンコツ車で移動。でこぼこ道を時速80kmで、

    ぶっ飛ばしたり、とにかくおもてなしは、

    荒っぽいがなんとなく親近感が湧く。

     

    朝のコヒーの時間には、搾りたての

    水牛の乳にチーズ。

    果物のジュース、手製の焼きたてのパン。

     

    とにかく、家庭料理は最高!

     

    観光ポイントは盛りだくさんだ。

    大自然に生息する動物。

    ワニ、蛇、猿、蝶、鳥類と豊富だ。

     

    川をエンジン付ボートで夜散策するツアー、

    鰐は素晴らしい。夜行性動物がいっぱいいる。

     

    早朝、の川もまた趣がある。

    エンジンを止めてジーと吠えざるの

    鳴声を待つ時間は素晴らしい!

     

    アナコンダ(大蛇)が、カピバーラという、

    ねずみ科の豚ぐらいの動物を

    呑みこんで河岸にジーとしているところを

    見ることが出来た。

     

    やはり、マラジョー島は素晴らしい。

     

     

     

     
    12/7/2007

    アマゾン河の船旅ーパリンチンス/ビラ・アマゾニア

     

    『ビラ・アマゾニアに眠る高拓生!』

     

    高拓生とは何か?彼らの入植の歴史は下記のサイトで見ていただこう!

     

    http://www.nikkeyshimbun.com.br/esp011102AmazonKotakusei04.html

     

     

    1930年代、上塚司氏の提唱で設立された日本高等拓殖学校は、アマゾンを開拓する移住者のリーダーを養成する目的で設立された学校である。

    1931年に第一回47名の青年移住者(19歳~20歳)を皮切りに、1938年までに401名の高拓生とその家族が<アマゾニア産業研究所>が管理する植民地<ビラ・アマゾニア>植民地に入植した。やがて、80周年にもなろうとするこの植民地にはその子孫の姿は無い。

     

    -彼らが眠っていると言うお墓を訪れてみた。ビラ・アマゾニア港から約5kmの地点。草木に覆われた荒れ放題のお墓。壊れたままの大理石の墓碑。訪れる日系人の姿は無いという。案内してくれた少女は私に、<何故、日本人はいなくなったの?>と素朴な質問を投げかけた。私は答えられなかった。何故だろう?私にも分からない。

     

    -かっては、若い青年移民の熱い息吹が充満していたであろう<八紘会館跡>。整備された土地はそのままだが、建物の跡に基礎石だけがその面影を残している。病院跡には水タンクの鉄骨だけが残っている。

     

    -第二次世界大戦が勃発したとき、日本人は敵国人扱いを受けた。アマゾンに散らばっていた日本人の植民地は財産没収・日本語禁止・トメアスー植民地の敵国人収容所に収容された。この大戦が大きな原因であろう。もとの植民地に帰耕する人は少なかった。マナウス・ベレン・サンパウロと散っていった。

     

    それにしても子孫皆無は痛々しい。訪れる人もないお墓はその歴史のみを刻んでいる。このままだと自然に飲み込まれて行くに違いない。

         

             ビラ・アマゾニアに眠る先駆者に捧げる詩!     

     

    『陽の登るビラ・アマゾニアに移り来て荒野に眠る大和民草』

         『万緑や 壊れしままの 白き墓碑』

     

     

     

     

     
    12/6/2007

    アマゾン河の船旅ーモンテアレグレ寸描/2

     

    『モンテアレグレ日本人植民地の歴史』

     

      1931(昭和6)年7月19日大阪YMCAの

    青年達(19歳~25歳)に よって組織された

    アマゾン青年開拓団(32名)が、

    このモンテアレグレの港に降り立ったことから始まる

    一行は団長五反田、副団長平賀両氏に引率されてきた。 

    この青年団は中学校卒業後、

    アマゾン開拓のリーダー養成教育

    (ポ語、気象学、習慣、開拓精神など)を受けてきた。

     

    落ち着き先は南米拓殖株式会社(福原八郎社長)が、

    準備したMulada街道の18km地点にある

    Limoeiro 地区だった。

    めったに人にも合えない

    辺鄙な遊ぶところさえない植民地での生活に

    ノイローゼなって行く青年達は、

    ついに団長排斥問題などを起こし

    1937年半ばに解散した。

    戦後移住は、1953(昭和28)年から

    数年にわたり129家族が入植した。

    その後1970年には

    東京農大拓殖科卒業生数名入植し、

    農協の運営などに携わった。

    戦前移民の上野・石黒さんらが設立(1957年)した

    農協が活動していた。

     

    一時期にはピメンタ栽培も盛んになったが、

    次第に下り坂になり、 日本への出稼ぎ者も出て、

    現在では20数家族(ほとんど家長はブラジル人)

    しか残っていない。

    アマゾン河船旅シリーズで計画した寄港地での

    日本人との懇親会は、 計画できそうも無い。

     

    植民地の盛衰はどこに原因するのだろう?

    過疎化が進むのは<出稼ぎブーム>によるところが大きい!

    第一回移民(1931年入植)の上野浩璽さん96歳は

    今だに健在で、 モンテアレグレの歴史を語ってくれた。

     

     

     

    11/29/2007

    アマゾン河の船旅ーモンテアレグレ寸描/1

     
    『モンテアレグレのErerê山脈と壁画について』
     
    アマゾン河沿いの左岸に位置するモンてアレグレは、
    人口約8万人。謎多き自然の遺跡に囲まれたアマゾンでも
    もっとも古い町の一つである。
    丘の麓から流れ出る温泉の近くにこの村は広がった。
     
    誰によって始められた町なのか、歴史的には定かではない。
    17世紀ごろ、キリスト教の宣教師が、
    土着のインディオのグループを引き連れて、
    Aldeia Grupatuba(グルパツーバ村)と名づけ住み着いた。
     
    その後、1758年ごろから村落はだんだん広がっていった。
    歴史的な建造物は、最初に建てられた教会、
    (Capela do Bom Jesus)があり、現在、図書館になっている。
     
    Ererê山脈には、有史以前の人類が住んでいたと言う
    洞窟が有り彼らが書き残した壁画がある。
     
    壁画については、
    1990年の初め、アメリカ人女性考古学者の
    Anna Rooselvet氏によって人類が住んでいたと言う
    物的な痕跡を発掘した。
    それは、人骨・歯・壁画を描くのに使われたと思われる
    顔料及び壁画の一部などである。
     
    発掘されたこれらの品々によって、
    世界でもっとも古い(11.200年前)人類であると推定された。
     
    あるアメリカ人の古生物学者は組織された
    文明を持っていた人類であると証言している。
     
    発掘された56個の異なる日付が記された石のかけらから、
    有史以前の人類であるとサイエンス誌に発表した。
     
    赤・黄の色は、宇宙の太陽と月を表現している。
    世界でここだけに見受けられる青色は
    何を意味するのだろう?今も、解読されていない。
     
    岩山、洞窟、壁画、滝が楽しめ、温泉も出る。
    長い年月を経て、雨風にさらされ形成された
    奇妙な形の岩がそびえるErerê山脈。
     
    丘を展望台にして眺める一望の風景は、
    すばらしいの一言に尽きる。
     
    アマゾン河の岸辺に広がる草原は見逃せない
    風景である。
    この町にも、日系人の植民地が存在する。
     
     
     
     
    11/27/2007

    アマゾン河の船旅ーグルパー~モンテアレグレ

     
    『インディオが書き残した壁画のある洞窟!』
     
     モンテアレグレは日本人植民地がある市である。
    ベレンから大型貨客船ロンドニア号(595㌧ 850名収容)で、
    約25時間(ベレンから130km)の地点でアマゾン河の左岸にある。
     
     この地方の住民の生活、河岸の家屋や大自然を眺めながらの船旅。
    岸辺で見送る人も、船からそれを眺める客も、それぞれの
    おもいで大自然の中に時間を共有している。
    ハンモックに横になったり、甲板で眺めいる風景はなんとも言えない。
     
    当たり前のことだが、どこまでも続くアマゾン大河。
    対岸とて見えない!
     
    モンテアレグレの港はよく整備され、インフラも整っている。
    だが、歴史的にも有名な<壁画のある洞窟>は、
    そこに至るまでの山道も整備されていず、
    荒れたままで獣の道に等しい。
    壁画のある山頂までの道は砂地で、
    4輪駆動車でないと登れない。
     
    観光資源として開発したらすごい人気が出るだろうに・・・。
    約1万2千年前に住んでいたと言われる、先住民が
    残した壁画も蜂の巣があり近寄るのも危険な状態だ。
     
    もったいないと言うより、痛々しい。
    先住民は後世に何を伝えたかったのだろう?
    その先住民のメッセージさえ未だに解読されていないと言う。
     
    先住民の偉大な英知に比べ、なんと無知で傲慢な現代人だろう!
    先住民の切なる訴えを保存しようともしない、
    ブラジルの環境保全の貧困さはどうだろう。
     
    -Serra do Ereré 先住民の言葉で<またお逢いしましょう、さようなら>
    -Serra do Paituna (緑色した湖)
    -Caverna com as Pinturas(壁画のある洞窟ー洞穴)
    -Pedra de Pilão (ピロンの洞窟)
     
    洞窟の中は涼しい!
    あの時代にブラジルに移住していたら、
    私もここを<終の地>としたであろう!
    山頂から眺める、アマゾン河の岸辺の草原はすばらしい!
     
    絶景かな!
    旅の疲れも、登山の息切れも取れてしまいました。
     
     
     
     
     
    11/21/2007

    アマゾン河の船旅ーベレン~グルパー

     
    『川岸に住む住民へのお土産!』
     
    両岸の住民が乗った無数のカヌーが客船ロンドーニア号に
    向けて突進してくる。
     
    大型船が通るたびの出来事で観光の一つのポイントにも
    なっている風景らしい!
     
    母親が櫂を漕ぎ子供が拾うパターン!
    パンツだけの服装、子供や女性が多い。
     
    船客は濡れないようにビニール袋に入れた衣類や食べ物を
    投げてやる。
     
    住民はこの水路を船が通るたびにこうして
    物乞いにやってくるのだ!
     
    岸辺はまったくのジャングル。食料品は何処で買うのだろう?
    高床式の椰子の葉っぱで覆われた貧しいたたずまいは、
    なんとなく気になる。
     
    想像できない生活習慣だ!
     
    それにしてもアマゾン河は広い!
    <やはり、百聞は一見にしかずだ!>
     
    14ヒベリーノ 0421アマゾン河の夕日 0011ヒベイリーノ0221夕方のアマゾン河 0102川岸の家 032アマゾン河の船旅 167
    11/6/2007

    いよいよ明日、七日に出発!

     
    『アマゾン河の船旅体験!』
     
    移り来て50年間果たせなかったアマゾン河の船旅。
    明日、七日いよいよ出発だ。
     
    ベレンを出港、モンテアレグレ~サンタレン~パレンチンスに、
    それぞれ一泊ないし二拍する旅。約2週間を予定している。
     
    ベレン~マナウス間は下船なしでは122時間の旅だ。
    ハンモックに寝て行きたいが、年取っているので
    キャビン(カマロッチ=Camalote)にした。
     
    どんな旅になるやら?
    行ってきます!
     
     
     
    12/27/2005

    ベレンはこんな街

    『パラー州の首都ベレン/12月27日』
     
    人口:         160万人
    位置:         南緯 1度28分・西経 48度29分
    年雨量:        3281mm
    年平均気温:     26度
    年平均最高気温:  31,5度
    年平均最低気温:  22,3度
    年間最高湿度月:  94%(2・3・4月)
    年間最低湿度月:  83%(11月)
    年間最大雨量月:  776,2mm(2月)
    年間最小雨量月:   55,6mm(10月)
    産業:         商業・鉱業(ボーキサイト。マンガン)・農業(胡椒・ジュート・熱帯果樹)             
     
     
    はるかかなたのアンデス山脈からの雪のしずくは、やがて清流を形成しながら、
    途中何百何千もの大小の川・河を従え濁った水になって、
    世界一の大河に変身しアマゾン河に成長します。 
     その大河が毎秒20万立方メートルと言う膨大な水量を大西洋に吐き出しています。
    ベレンの街はその河口の巨大な砂洲、マラジョー島の南対岸に位置します。